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人生の幸せの量が決まっているとしたら
前半と後半どっちが幸せだろう
同じ量でもやっぱり最後が幸せじゃないと
不幸に感じるのかな。
わたしの幸せはもう終わったんだろうか。
大人になればなるほど、自分だけの世界じゃ
完結しなくなる。
批判しない風潮
批判しないことは果たして良いことか
それを極端に避ける人がいる
犯罪をおかしたかのような反応で
批判する人、批判することを良しとしない人種は一定数いると思う
良いところだけに目を向ければいいじゃないかと言い、批判には耳を傾けない
まるでそれが正義かのようだ。
わたしはそれに違和感を覚えた。
批判しないとこは、ただ関心がないだけで問題から目を背けてるだけじゃないか?
無関心でいることが良しなのか?
批判ばかりしていては、当然ひとは離れていくだろうが、それに無関心でい続けるひとも同様に周囲は離れていくんじゃないかと思う。
違和感の正体は、自分は〈批判しないこと〉が正しいと思っていることそのものが、〈批判ばかりしているひと〉と物事に対するスタンスは変わらないというパラドックスだと思う。
議論すればいいのにそれをしないから、
両者にはなにも生まれない
面倒だっていいじゃないと思うのは古い人間なのかな
U-23サウジアラビア戦
テレビをつけてたら、日本代表の歌う国家が流れてきた
ふと気がつくと自分も歌ってた
そういえばなんで覚えてるんだろう?
それほど親しみがあるのかな?なんて思ったけれど、、、いや待てよ、歌えるけど全然意味わからん!と
・・・すみません、こんなタイトル付けときながら、サッカーの話は1ミリもしません!
申し訳ありません!
それでググったんです
国家の意味。多くの国は建国の歴史を歌ってるようですね
日本はというと、男女が仲良く寄り添う時代が永遠に続くようにと平和を願っているそうです
わたしは子供の頃、なんて暗い歌なんだと思ってました。
他の国はみんな明るくてカッコいい感じなのに、どうして日本だけこんなに薄暗いんだろうと
ただ大人になって改めて歌詞の意味を知ると、悪くないなと思えました
純粋に平和を願ってた歌だったんですね
それにこんなに短いのも、古今和歌集からとったからみたいです。遥か昔から歌われていて受け継がれていると思うと少し感動を覚えたり、、奥が深いです、、!
いろいろな国にいろいろな歴史があって、同じ国でもその地方によっても様々な歴史があるように、私たち一人ひとりにもその人の人生があって、それによって物事の解釈も違ってきます。
そりゃあ揉めることもありますよね、職場でも、学校でも。もちろん家族でも。
そりゃそうだよなーと変に納得しました、違って当たり前なんだと。
今回の件で少し日本の文学にも興味を持ったので気が向いたら調べてみようと思います
ちなみに、歌詞の意味を参照したのはこのブログです!
https://www.izumo-enmusubi.com/entry/kimigayo/
kunatoさんありがとうございました!
令和も平和な時代になることを祈って。
おしまい!
一流たる所以
ホテル然り、レストラン然り、世の中には一流と呼ばれるお店がある。
食事であれば食材や料理の質であったり、モノであれば素材や性質などが理由の大部分を占めるのかもしれないが、わたしが一番重要だと思うのはサービスだ。
わたしは最近、あるサロンに通っている。
今までも同じような類のサロンには幾度となく足を運んできたし、同年代ではなかなか詳しい方だと思う。
だけど一度も続かなかった。
技術は良かったのになぜだろう…
そう思って振り返ってみたら、スタッフさんのサービスの質が原因だった。
おまけしてくれるとか、自分だけ特別に扱ってくれるとかそうゆうんじゃなくて。
ただただ居心地の良い空間を全員が作ってくれているという、そのクオリティだった。
だれかが一人秀でているというのはどのお店でも良くあることで。
ただそれだと違う日は残念な気持ちになる。
それがないって単純にすごい。
わたしが今まで通ってきたサロンは個人店で、あまり名は知られていないことが多く、いわば“隠れた名店”のような立ち位置だった。
だけど今回は、だれもが知っている一流店にした。
単純に、技術が高かったから決めたのだが、
通いながらその一流たる所以を知ることになる。
先駆者は強いけどわたしは2番手を応援したい
言わずもがななティッシュの王者、ネピアの鼻セレブ。消耗品という概念を覆したこのティッシュの登場は、当時なかなかの衝撃だったのを覚えてる。
平成生まれは分かるまい。
捨てるものにあえて質を求めたこの発想が、どれだけ斬新だったのかを。
わたしもはじめは、ふつうのティッシュを使っていた。
だが風邪にやられて、なめらかな肌触りに助けられてからは、もっぱら鼻セレブ様様でお世話になってきた。
のだが、ある時ふと思ったのだ。
これ、わたしが買ったところでどうなんだ?
買おうが買わまいが、王者の地位は変わらんだろ、と。
だったら違うティッシュ応援しようかなーと。
で、目をつけたのがクレシアさんのカシミヤだった。ローション加工を施すことなく、紙づくりの本質にこだわり抜くことで肌触りと品質を実現したらしい。
のだが、そんなところは見ていない。というか、一流企業のクレシアさんなら品質は間違いないだろうとふんでいたわけで。
では何を重視したのか?
それはズバリ、デザインですよ
この真っ白いボディは何も邪魔せず、そこにただいてくれる。
しかも、たまに期間限定でさくらとかクリスマスの色の入ったバージョンがでる。
それがまたセンスがいい!
鼻セレブもね、最近はアンパンマンとか、リラックマとか出してるんだけど、そうゆんじゃないんだ。子持ちのママならアンパンマンも子どもが喜ぶかもしれないけど。
でも大人が求めてるのって違うと思うんだ。
このさりげない可愛さ。
その洗練されたデザインなんですよ。
この桜が施してあるティッシュがリビングにちょこんとあるだけで、何となく春を感じれた何気ない一日。
なんでもない日、ありがとう。
ほぼ日さんじゃないですが、なんとなくそう思えたので書いてみた。(もう夏だけど)
ただ鼻セレブの不動の地位を奪おうとは思ってないですよ、はい。わたしが使ったところでどうこうなる話じゃないんで。おこがましいよ。
ただ、それだけ先駆者は強いよなーと思ってね。
でもいいんです。
わたしは満足してるから
たけのこ腹一杯食べるって贅沢。
いまは昔、翁という者ありけり。
とはいかないが、うちの実家はたいそうな田舎で、それはそれは贅沢な暮らしだった。
贅沢といっても、東京の金持ちがするような贅沢じゃなくて
以下、ツイッターより引用
金持ちに嫉妬して足を引っ張ろうとしている意図はないんだけど、「父の年収4000万円+研究費あるから世の中からみたら稼いでるほうなのかもしれないけど、子ども3人中高一貫私立からの私立大だから全く贅沢できない」というツイートを見て「いやそれが贅沢やねん、分からんのか」とツッコんでしまった
こういう都会の贅沢とは違う、自然がすぐそこにあるという贅沢。
春はタケノコ採り放題、みたいな。わらびもたらの芽も生えてますよ的なやつ。
こういうのって、そこにいた時には気づけない。まあ、気づいていない点ではどちらも同じなんだけど。
春になると筍ほしいかと、母からメールが来る。わたしは即答する。お願いしますと。
生だと調理できないので、アク抜きして、下茹でもしてもらったのをさらにクール便で送らせるという、横着者ですが。(すみません。)
それをわたしは味噌汁に入れる。酒粕も一緒に。
うちの地元でいう孟宗汁ってやつだ。
で、量も多いから、具沢山になる。
『一汁一菜でよいという提案』にならって、土井先生ありがとう!と感謝しつつ、母にも感謝しつつ、なんならわたしをそこにもたらしてくれたご先祖様にも感謝しつつ、具沢山孟宗汁の出来上がり。
良い豆腐も入れてみた。良い豆腐は味が濃いのな。それだけで美味い。
良い出汁だしてくれよと期待しつつ、かつお節も入れた。これは友だちの結婚式の引出物です。
はい完成。
これがめちゃうまのバカうま!
なんのスペックだと思うくらい美味い。
これ、当たり前だと思ってた頃は感謝できなかったよな。じゃあ帰るとはならないけど、そこには確かに、価値があったんだ。
そこにある時に気付きなさいよ、バカモノめが。
よく金持ちは日本に金使うっていうけど
よく金持ちは、どうせ買うなら国産を買うと言う。なんで外国に金落とさなきゃいけないんだって。
はい、そうですね。
その通りです。
わたしも思う。同じ米買うなら地元の米買おうとかね。地域貢献とか言ってね。
だけどね、かっけーとか思ったら、それはもう思わせた者勝ちなんだよ。
日本だろうが外国だろうが。
だからね、わたしはフォリフォリが好きなわけ。時計だったらSEIKO買うべきかもだけど、わたしはフォリフォリを買うわけ。
指輪ならミキモトかもしれないけど、CHANELがものすごくココロに刺さったわけ。
でね、バッグパックを買おうと思ったらね、プラダに行ってしまったわけですよ。
そしたらやっぱり期待を裏切らないプラダ
シンプルなのにおしゃれで、さりげない主張と計算された美しさ。
この品の良さこそ、大人の証なんだな。
リュックってどうしても子供っぽくなるし、カジュアルになりすぎて、それなりのモノでないととても残念な感じになる。
もっと若ければそれで良いのだが、そんな歳ではない。
日頃から自分の年齢を鑑みないファッションをしている人を見てたから、自分はそうはなりたくなかった。
そして行き着いたプラダは、やっぱり最高だった。
バッグパックを背負って、鏡を見る
なんて素敵なんだろう
一見ルーズな服装が、プラダによっておしゃれなこなれた感じを醸し出してくれる
幸せはこんなとこにある♬なんてSMAPの歌が聞こえてきそうだけど、まさに脳内はお花畑状態だった。(女子高生時代の恋する榮倉奈々じゃないけれど。)
わからない人はインスタ見てくれ。
彼が反対したので、即決は止め、検討。
持ち帰ることにしたのだが、わたしのココロは変わらない。
そう、彼はブランドがキライなんです。
(ちなみに弟も。)
とくに弟とはお金の価値観が合わず、よく話をしたものだが、それはまた別の機会に。
わたしはいま、どのタイミングでプラダのリュックを買おうか考えてる。
なるべく(ブランド否定派の)夫が納得できる形で手に入れたい。
でもね、これだけは分かってほしい。
“見栄じゃないんです!!!”
声を大にして言いたい。
見栄じゃなくて、その先にある体験なんだと。
他人がどうとかじゃなく、あくまで自分がどう感じるかなんだと。