世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

なんとなく語りたくなった日々の出来事です

たけのこ腹一杯食べるって贅沢。

いまは昔、翁という者ありけり。

とはいかないが、うちの実家はたいそうな田舎で、それはそれは贅沢な暮らしだった。

 

贅沢といっても、東京の金持ちがするような贅沢じゃなくて

 

以下、ツイッターより引用

 

金持ちに嫉妬して足を引っ張ろうとしている意図はないんだけど、「父の年収4000万円+研究費あるから世の中からみたら稼いでるほうなのかもしれないけど、子ども3人中高一貫私立からの私立大だから全く贅沢できない」というツイートを見て「いやそれが贅沢やねん、分からんのか」とツッコんでしまった

 

 

こういう都会の贅沢とは違う、自然がすぐそこにあるという贅沢。

春はタケノコ採り放題、みたいな。わらびもたらの芽も生えてますよ的なやつ。

こういうのって、そこにいた時には気づけない。まあ、気づいていない点ではどちらも同じなんだけど。

 

春になると筍ほしいかと、母からメールが来る。わたしは即答する。お願いしますと。

生だと調理できないので、アク抜きして、下茹でもしてもらったのをさらにクール便で送らせるという、横着者ですが。(すみません。)

それをわたしは味噌汁に入れる。酒粕も一緒に。

うちの地元でいう孟宗汁ってやつだ。

で、量も多いから、具沢山になる。

 

『一汁一菜でよいという提案』にならって、土井先生ありがとう!と感謝しつつ、母にも感謝しつつ、なんならわたしをそこにもたらしてくれたご先祖様にも感謝しつつ、具沢山孟宗汁の出来上がり。

 

良い豆腐も入れてみた。良い豆腐は味が濃いのな。それだけで美味い。

良い出汁だしてくれよと期待しつつ、かつお節も入れた。これは友だちの結婚式の引出物です。

はい完成。

 

 

これがめちゃうまのバカうま!

なんのスペックだと思うくらい美味い。

 

これ、当たり前だと思ってた頃は感謝できなかったよな。じゃあ帰るとはならないけど、そこには確かに、価値があったんだ。

 

 

 

そこにある時に気付きなさいよ、バカモノめが。